北海道・洞爺湖の近くに、わずか2年足らずで誕生した火山があることをご存じでしょうか。その名は「昭和新山(しょうわしんざん)」。1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)にかけて、もともと畑や集落があった土地が隆起し、噴火を繰り返しながら形成された火山です。
赤茶色の荒々しい山肌から白い噴気が立ち上る姿は、北海道を代表する火山景観のひとつ。しかし、昭和新山の本当の魅力は、その外観だけではありません。
昭和新山には、戦時中に誕生したという歴史、地下のマグマが大地を押し上げた地質学的な特徴、そして国の天然記念物でありながら現在も私有地であるという珍しい背景があります。
さらに、その誕生を独自の観測方法で記録し、火山の保存に尽力した人物がいました。地元の郵便局長だった三松正夫(みまつ まさお)です。
この記事では、昭和新山が誕生した歴史を時系列で振り返りながら、溶岩ドームが形成される仕組み、三松正夫の功績、私有地となった経緯を詳しく解説します。あわせて、観光の見どころやアクセス、周辺の観光スポットも紹介します。
昭和新山を訪れる前に、その誕生と保護の歴史を知れば、目の前に広がる火山の景色が、これまでとは違って見えてくるかもしれません。
昭和新山とは?わずか2年ほどで誕生した北海道の火山
昭和新山は、北海道有珠郡壮瞥町に位置する火山で、洞爺湖の南東側、有珠山の東麓にあります。
多くの山が長い年月をかけて形成されるのに対し、昭和新山は1943年12月に始まった火山活動によって、1945年9月までに現在につながる山体が形成されたという、極めて特徴的な誕生の歴史を持っています。
その形成過程は詳細に観測・記録され、火山の成長を研究するうえでも貴重な事例となっています。
昭和新山はどこにある?北海道壮瞥町の火山
昭和新山がある壮瞥町(そうべつちょう)は、洞爺湖の東側から南東側に広がる自然豊かな町です。周辺には洞爺湖や有珠山など、火山活動によって形成された地形が数多く残されています。
昭和新山は、洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパークを代表する見どころのひとつであり、北海道の大地が持つ火山のエネルギーを実感できる場所として知られています。
- 名称:昭和新山(しょうわしんざん)
- 所在地:北海道有珠郡壮瞥町字昭和新山
- 標高:398m(現在の案内で用いられる数値)
- 形成時期:1943年12月~1945年9月
- 火山の特徴:潜在ドームと溶岩ドームからなる火山
- 関連する火山:有珠山
- 文化財指定:国の特別天然記念物
昭和新山の麓には、三松正夫記念館や有珠山ロープウェイなどがあり、火山の歴史と周辺の自然をあわせて楽しめます。
所在地や周辺施設については、壮瞥町の公式観光情報も参考になります。
昭和新山の標高と特徴|赤茶色の山肌と溶岩ドーム
昭和新山を象徴するのが、周囲の緑豊かな森林とは対照的な、赤茶色の岩肌です。
山体には植物が少ない部分が広がり、場所によっては現在も白い噴気が立ち上っています。これは、地下に残る熱によって温められた水蒸気などが、地表の割れ目から放出されているためです。
昭和新山の山体は、地下のマグマが地表を押し上げて形成した「潜在ドーム」と、地表に現れた粘性の高い溶岩が盛り上がってできた「溶岩ドーム」によって構成されています。
一般的に火山というと、火口から溶岩が流れ出して山が大きくなる姿を想像するかもしれません。しかし、昭和新山では粘り気の強いマグマが地面を押し上げ、さらに地表に現れた溶岩がドーム状に成長しました。

この形成過程こそが、昭和新山の地質学的な特徴です。
なお、昭和新山の標高には資料によって違いがあります。1945年に溶岩ドームの成長が終わった当時の頂部は406.9mと記録されています。一方、現在の壮瞥町の観光案内では398mと紹介されています。
この違いを理解するためには、測量時期や測定方法などの違いにも注意が必要です。少なくとも、誕生当時の標高と現在の案内に掲載されている標高を混同しないことが大切です。
昭和新山と有珠山の関係|同じ火山活動から生まれた山
昭和新山を理解するうえで欠かせないのが、すぐ近くにある有珠山(うすざん)との関係です。
有珠山は、北海道を代表する活火山のひとつです。過去にも繰り返し噴火しており、その活動によって周辺の地形が変化してきました。
昭和新山は、この有珠山の1943~1945年の噴火活動によって東麓に形成された火山です。つまり、昭和新山は有珠山と無関係に突然現れた独立した火山ではなく、有珠火山の活動の一部として誕生した山なのです。
有珠山では、1910年の噴火活動によって明治新山(四十三山)が形成され、1943~1945年には昭和新山が誕生しました。さらに1977~1978年の活動でも山体の隆起や変形が起こっています。
このように、有珠山周辺では噴火のたびに新たな地形が形成されることがあり、昭和新山はその代表的な事例といえます。
有珠山の噴火履歴については、気象庁の公式資料で詳しく確認できます。
昭和新山が世界的にも貴重な火山とされる理由
昭和新山が地質学的に重要なのは、単に短期間で山が形成されたからではありません。
特に注目すべきなのは、平坦な土地が隆起し、噴火を経て溶岩ドームが形成されるまでの過程が、人の目によって継続的に観測・記録されたことです。
火山の成長過程を最初から最後まで詳細に追跡できる事例は限られています。昭和新山では、地震、地盤隆起、水蒸気噴火、溶岩ドームの成長という一連の変化が記録されました。
その中心的な記録を残した人物が、当時の壮瞥郵便局長・三松正夫です。
三松正夫が描いた「ミマツダイヤグラム」は、昭和新山の山体が時間とともにどのように変化したのかを示す資料として知られ、火山研究史において重要な記録となっています。
昭和新山は1951年に国の天然記念物に指定され、その後、特別天然記念物となりました。現在も、貴重な火山地形を後世に伝えるための保護が行われています。
文化庁の文化遺産オンラインでも、昭和新山の形成過程と三松正夫の観測記録が紹介されています。

昭和新山はどのように誕生した?1943年から1945年の歴史
昭和新山の誕生は、第二次世界大戦中の1943年12月28日に始まった地震活動にさかのぼります。
それまで穏やかな農村風景が広がっていた場所で地震が頻発し、やがて地面が隆起。翌1944年には畑から噴煙が立ち上り、噴火が始まりました。
その後も地盤の隆起と噴火が続き、1945年には現在の昭和新山につながる溶岩ドームが形成されました。
昭和新山の誕生過程は、大きく分けると次の3段階で説明できます。
- 先噴火期(1943年12月~1944年6月):群発地震と地盤の隆起が進行
- 爆発期(1944年6月~10月):水蒸気噴火と爆発が繰り返し発生
- 溶岩ドーム生成期(1944年11月~1945年9月):粘性の高い溶岩が上昇し、山体が成長
ここからは、その変化を時系列で詳しく見ていきましょう。
誕生前の昭和新山は畑や集落が広がる土地だった
現在の昭和新山の姿からは想像しにくいかもしれませんが、山が誕生する前、この一帯には麦畑などの農地や集落が広がっていました。
人々は畑を耕し、農作物を育てながら暮らしていました。そこに、突然火山活動が始まったのです。
地震によって土地に亀裂が入り、やがて地面が盛り上がり始めました。長年耕作してきた農地が変形し、生活の場そのものが失われていくという、地域住民にとって深刻な出来事でした。
昭和新山の誕生は、地球の活動が生み出した壮大な自然現象であると同時に、そこで暮らしていた人々の生活を大きく変えた災害でもあったのです。
1943年12月|突然始まった群発地震と地盤の隆起
1943年12月28日、有珠山周辺で地震活動が始まりました。
気象庁の記録によると、有珠山北麓では1日に20回近くの有感地震が発生しました。地震活動はその後も続き、1944年に入ると震源が次第に有珠山の東麓へ集中していきました。
やがて、柳原地区で地盤の隆起が確認され、1944年4月には隆起量が約16mに達しました。
さらに4月中旬以降は、現在の昭和新山東部にあたるフカバ付近へ隆起の中心が移動し、最大約50mもの地盤隆起が発生しました。
わずか数か月の間に地面が数十メートルも盛り上がるという変化は、通常の地殻変動とは比較にならないほど急激なものでした。
これは、地下から上昇してきたマグマが周囲の岩盤を押し上げ、地表を大きく変形させていたためと考えられています。
つまり、地表で噴火が始まる前から、地下ではすでに新しい山を形成する活動が進行していたのです。
1944年6月|畑から噴煙が上がり水蒸気噴火が始まる
1944年6月23日、ついに地表で噴火が始まりました。
噴火が発生したのは、現在の昭和新山中央部にあたる東九万坪と呼ばれる畑地でした。
地下から上昇してきた高温のマグマによって地下水などが加熱され、急激に水蒸気となって膨張することで、水蒸気噴火が起こったと考えられています。
それまで農作物が育っていた畑から突然噴煙が立ち上がり、噴石や火山灰が放出されるという、異常な光景が広がりました。
この噴火をきっかけに、昭和新山の形成は新たな段階へと進みます。
1944年6月22日には有感地震が250回に達したと記録されており、噴火直前まで地下の活動が激しく続いていたことがわかります。
昭和新山の誕生は、突然山が現れたという単純な現象ではありません。群発地震、地盤隆起、水蒸気噴火という段階を経て、地表の景観が大きく変化していったのです。
1944年後半|激しい噴火と地面の盛り上がり
1944年7月に入ると、昭和新山の噴火活動はさらに激しくなりました。
特に7月2日と3日の爆発では、大量の噴石や火山灰が放出され、周辺の農作物に大きな被害が発生しました。
火山灰は遠く苫小牧や千歳方面にも達したと記録されています。
7月11日の爆発では火砕サージが発生し、保安林や家屋が被害を受けました。火砕サージとは、火山灰や火山ガスなどが地表付近を高速で広がる現象で、比較的低温であっても大きな被害をもたらすことがあります。
一連の活動では複数の火口が形成され、地盤の隆起も続きました。
この時期に形成された盛り上がりは「屋根山」と呼ばれ、地下のマグマが地表を押し上げてできた潜在ドームに相当します。
屋根山の形成によって、それまで平坦だった土地は、次第に山らしい地形へと変わっていきました。
しかし、この段階では現在見られる赤茶色の溶岩ドームはまだ十分に形成されていませんでした。
昭和新山の特徴的な姿が現れるのは、1944年11月以降のことです。
1945年|溶岩ドームが成長し昭和新山が完成
1944年11月中旬になると、屋根山の中央部に形成された火口群の中心から、新しい溶岩が姿を現し始めました。
地下から上昇してきた粘性の高い溶岩は、遠くへ流れ出すのではなく、地表付近で盛り上がるように成長していきました。
このようにして形成されたのが、現在の昭和新山を象徴する溶岩ドームです。
溶岩ドームは1945年に入っても成長を続け、山体は次第に高くなっていきました。
そして1945年9月ごろには地震活動が少なくなり、溶岩ドームの成長もほぼ終息しました。
気象庁の記録では、形成終了時の溶岩ドーム頂部は標高406.9mに達したとされています。
こうして、1943年末から始まった一連の火山活動によって、昭和新山が誕生したのです。
昭和新山の形成過程は、産業技術総合研究所の火山資料でも詳しく解説されています。
戦時中の噴火が地域住民の暮らしに与えた被害
昭和新山の誕生は、火山研究の観点からは貴重な自然現象でした。しかし、当時の住民にとっては、生活の基盤を奪われる深刻な災害でもありました。
噴火によって農地には火山灰が降り積もり、地盤の隆起や亀裂によって耕作が難しくなった場所もありました。
さらに、家屋や道路、鉄道などにも被害が及び、住民の生活に大きな影響を与えました。
気象庁の記録によると、1944年7月11日の噴火では負傷者が発生し、8月26日の噴火では幼児1名が亡くなる被害も起きています。
また、当時は第二次世界大戦の最中であり、火山活動に関する情報の公表には厳しい制約がありました。
こうした厳しい状況のなかでも、地域住民や研究者たちは噴火活動の観測と記録を続けました。
特に三松正夫は、郵便局長として働きながら、昭和新山の成長を継続的に観察し、詳細な記録を残しています。
昭和新山の誕生を語る際には、自然の壮大さだけでなく、火山活動によって被害を受けた人々の存在も忘れてはなりません。
現在、多くの観光客が訪れる昭和新山は、地球の営みによって生まれた自然の造形物であると同時に、地域の人々が経験した災害の記憶を伝える場所でもあるのです。
昭和新山の噴火による被害については、内閣府の防災情報資料にも詳しい記録が残されています。
昭和新山はなぜ盛り上がった?地質学から読み解く火山の仕組み
昭和新山の最大の特徴は、もともと平坦だった農地が短期間で大きく隆起し、現在のような山になったことです。
一般的に火山というと、火口から大量の溶岩が流れ出し、それが積み重なって山を形成する姿を想像するかもしれません。しかし、昭和新山の形成過程はそれとは大きく異なります。
昭和新山では、地下から上昇した粘り気の強いマグマが地面を押し上げ、さらに地表に現れた溶岩が盛り上がることで山体が形成されました。
この仕組みを理解するためには、「潜在ドーム」と「溶岩ドーム」という2つの地質学的な構造を知ることが重要です。
昭和新山の正体は「溶岩ドーム」と「潜在ドーム」
昭和新山は、地下のマグマが地表を押し上げて形成した潜在ドームと、地表に現れた溶岩によって形成された溶岩ドームから構成されています。
両者は似たような名称ですが、形成される仕組みには明確な違いがあります。
| 比較項目 | 潜在ドーム | 溶岩ドーム |
|---|---|---|
| 形成される場所 | 主に地下のマグマが地表を押し上げた部分 | 地表に現れた溶岩が盛り上がった部分 |
| 形成の仕組み | 地下からのマグマの圧力によって地盤が隆起 | 粘性の高い溶岩が流れずに積み重なる |
| 昭和新山での代表例 | 屋根山 | 赤茶色の岩肌が目立つ中央のドーム |
| 主な特徴 | もともとの地層が持ち上げられる | 新しく固まった溶岩が山体を形成する |
昭和新山の形成初期には、地下から上昇してきたマグマが地表に達する前に周囲の地層を押し上げました。
このとき形成された隆起地形が「屋根山」と呼ばれる潜在ドームです。
その後、1944年11月ごろからマグマが地表に現れ始め、粘性の高い溶岩が盛り上がって溶岩ドームを形成しました。
つまり、現在の昭和新山は、地下から押し上げられた土地と、新しく噴出した溶岩が組み合わさってできた山なのです。
このような形成過程が詳細に観測されたことは、火山の成長メカニズムを研究するうえで重要な意味を持っています。
地下のマグマが地面を押し上げる仕組み
昭和新山が形成された背景には、地下深くから上昇してきたマグマの存在があります。
マグマは地下の高温状態で形成された溶融した岩石であり、周囲の岩盤よりも移動しやすい状態になると、地下の割れ目などを通って上昇することがあります。
ただし、マグマが上昇したからといって、必ずしも地表から溶岩として噴出するわけではありません。
昭和新山の場合、上昇してきたマグマが地表近くの地層を押し上げ、地盤の隆起が進行しました。
その結果、もともと農地だった場所が盛り上がり、短期間で大きな地形変化が生じたのです。
このような地盤の変形は、地下のマグマの動きを反映する重要な現象です。
実際に昭和新山の形成過程では、地震活動の活発化に続いて地盤が隆起し、その後に水蒸気噴火や溶岩ドームの形成が起こりました。
火山の研究では、こうした地震活動や地殻変動を観測することで、地下で進行しているマグマの活動を推定します。
昭和新山の形成過程は、現在の火山監視でも重視される地震・地殻変動・噴火活動の関係を理解するための貴重な事例といえるでしょう。
なぜ昭和新山の溶岩は赤茶色なのか?
昭和新山を訪れると、周囲の緑豊かな山々とは対照的な赤茶色の山肌が目に入ります。
この特徴的な色は、昭和新山の景観を象徴する重要な要素です。
赤茶色の山肌が見られる理由のひとつは、火山岩に含まれる鉄分が高温の環境や酸素との反応によって酸化し、赤みを帯びた鉱物が形成されることです。
鉄を含む鉱物は、酸化の状態によって赤色や褐色などの色を示すことがあります。
また、昭和新山では火山活動によって形成された岩石が地表に露出しているため、周囲の森林とは異なる荒々しい景観が広がっています。
ただし、山肌の色は鉄分の酸化だけで一律に説明できるものではありません。岩石の種類、熱水による変質、風化の程度なども影響します。
昭和新山の赤茶色の山肌は、火山活動によって形成された岩石が、地表でさまざまな変化を受けてきたことを示す景観のひとつと考えられます。
観光の際には、山肌の色だけでなく、岩石の形状や割れ目、噴気が見られる場所にも注目すると、昭和新山の地質学的な特徴をより深く理解できます。
溶岩が流れずに山の形になった理由|マグマの粘性
昭和新山の形成を理解するうえで重要な要素が、マグマの「粘性」です。
粘性とは、液体などの流れにくさを表す性質です。
例えば、水は粘性が低く、さらさらと流れます。一方、冷えた蜂蜜のように粘性が高いものは、ゆっくりとしか流れません。
マグマにも同じように粘性の違いがあり、その性質によって噴火の様子や形成される火山地形が変わります。
一般的に、二酸化ケイ素(SiO2)の含有量が多いマグマほど粘性が高くなる傾向があります。ただし、実際の粘性には温度や結晶の量なども関係します。
昭和新山を形成したのは、粘性の高いデイサイト質のマグマです。
このマグマが地表に現れた際、遠くまで流れ広がることなく、噴出地点の周辺に盛り上がりました。
その結果、ドーム状の山体が形成されたのです。
溶岩ドームは、粘性の高いマグマによって形成される代表的な火山地形のひとつです。
昭和新山は、その形成過程が詳細に記録された溶岩ドームとして、火山地質学の研究でも重要な存在となっています。
昭和新山から今も噴気が出るのはなぜ?
昭和新山では、山肌の一部から白い噴気が立ち上る様子を見ることがあります。
1945年に山体の形成がほぼ終息したにもかかわらず、なぜ現在も噴気が見られるのでしょうか。
その理由は、地下に残る火山性の熱と、地下水や火山ガスの活動にあります。
地下の高温の岩石によって水が温められると、水蒸気が発生します。その水蒸気や火山ガスが岩石の割れ目などを通って地表へ放出される現象が「噴気」です。
白く見える噴気には、放出された水蒸気が外気によって冷やされ、細かな水滴となったものも含まれます。
昭和新山の噴気は、山体内部に火山性の熱が残っていることを示す現象のひとつです。
ただし、噴気が見られることと、現在も溶岩ドームが成長していることは同じではありません。
昭和新山の溶岩ドームの成長は1945年にほぼ終息しており、現在も噴気が見られるからといって、山体が継続的に高くなっているという意味ではありません。
また、噴気の量や見え方は、気温、湿度、風などの気象条件によっても変化します。
特に気温の低い時期には、噴気が目立ちやすくなることがあります。
昭和新山の観光では、こうした噴気の仕組みを知っておくことで、火山の熱が現在も地下に残っていることを実感できるでしょう。

昭和新山は今後も噴火する?有珠山の火山活動との関係
昭和新山は現在も噴気が見られることから、「今後また噴火する可能性はあるのか」と疑問に思う方もいるでしょう。
この問題を考える際には、昭和新山だけでなく、有珠山全体の火山活動を理解する必要があります。
昭和新山は、有珠山の1943~1945年の噴火活動によって形成された火山です。
有珠山は歴史時代にも繰り返し噴火しており、1977~1978年や2000年にも噴火活動が発生しました。
2000年の噴火では、有珠山の西側で新たな火口が形成され、周辺の道路や建物などに被害が発生しています。
このように、有珠山は活動を繰り返してきた活火山であり、将来の噴火の可能性を否定することはできません。
ただし、将来の噴火が昭和新山の山頂や同じ場所で発生するとは限りません。噴火地点や活動の規模、時期を正確に予測することは困難です。
また、現在の噴気活動だけを根拠に、噴火が近づいていると判断することもできません。
火山活動の評価には、地震活動、地殻変動、火山ガスなど、複数の観測データを総合的に確認する必要があります。
昭和新山や有珠山周辺を観光する際には、気象庁が発表する最新の火山情報や、自治体による防災情報を確認しておくと安心です。
有珠山の火山活動については、気象庁の公式情報を参考にしてください。
昭和新山の誕生を記録した三松正夫とは?
昭和新山の歴史を語るうえで、欠かすことのできない人物が三松正夫(みまつ まさお)です。
三松正夫は、昭和新山が誕生した当時、北海道壮瞥村の郵便局長を務めていました。
専門の火山学者ではありませんでしたが、1943年末から始まった地震活動と、その後の地盤隆起、噴火、溶岩ドームの成長を継続的に観測しました。
そして、昭和新山の形が日々変化していく様子を独自の方法で記録し、後に世界的にも知られる「ミマツダイヤグラム」を残しました。
さらに三松正夫は、火山の観測だけでなく、昭和新山の土地を購入して保護することにも尽力しました。
昭和新山が現在も私有地として保存されている背景には、三松正夫の存在が深く関わっています。
郵便局長だった三松正夫が火山観測を始めた理由
三松正夫は1888年(明治21年)に生まれ、北海道壮瞥村で郵便局長を務めた人物です。
昭和新山が誕生する以前から、有珠山周辺の火山活動に関心を持っていたことが知られています。
1910年(明治43年)に有珠山で噴火が発生した際には、火山学者の大森房吉らによる調査に接する機会がありました。
こうした経験は、後に昭和新山の観測を続けるうえで重要なきっかけになったと考えられます。
1943年12月に有珠山周辺で群発地震が始まり、翌1944年には地盤の隆起が進行すると、三松正夫はその変化を注意深く観察するようになりました。
当時は第二次世界大戦中であり、火山活動に関する情報の公表や調査にはさまざまな制約がありました。
そのような状況でも三松正夫は、地元で起きている異変を記録することの重要性を認識し、独自の観測を続けました。
専門の研究機関に所属していなかった人物が、火山の誕生という貴重な自然現象を継続的に記録したことは、昭和新山の歴史における大きな特徴です。
戦時中に独学で続けた昭和新山の観測
昭和新山が誕生した1943~1945年は、第二次世界大戦の最中でした。
戦時中は物資や人員が不足し、火山活動に関する情報も自由に公表できる状況ではありませんでした。
そのような時代に、三松正夫は郵便局長としての仕事を続けながら、昭和新山の成長を観測しました。
観測には、一定の地点から山体の輪郭を繰り返しスケッチする方法が用いられました。
山の形を同じ方向から継続的に記録することで、どの部分がどれだけ隆起したのか、溶岩ドームがどのように成長したのかを比較できるようにしたのです。
現在であれば、GPSやGNSS、人工衛星、レーザー測量などを利用して、地表の変化を高精度で観測できます。
しかし、三松正夫が活動していた当時は、こうした観測技術を利用できませんでした。
そこで、身近な道具と継続的な観察によって、山体の成長を記録したのです。
三松正夫の観測が優れていたのは、単に山の姿を描いたことではありません。
同じ対象を、一定の条件で、長期間にわたって記録し続けたことに大きな価値があります。
この観測記録は、昭和新山の形成過程を後世に伝える重要な資料となりました。
「ミマツダイヤグラム」とは?山の成長を記録した貴重な資料
三松正夫が残した最も有名な観測資料が、「ミマツダイヤグラム(Mimatsu Diagram)」です。
ミマツダイヤグラムとは、昭和新山の山体が時間の経過とともにどのように変化したのかを、複数の輪郭線によって表した図です。
三松正夫は、山体を一定の方向から繰り返し観察し、その輪郭を記録しました。
それらの記録を重ね合わせることで、昭和新山の成長過程を視覚的に理解できるようにしたのです。
この図を見ると、最初は低かった地面が次第に隆起し、やがて溶岩ドームが成長していく様子を読み取ることができます。
ミマツダイヤグラムの重要性は、火山の形状を示したことだけではありません。
火山の形成過程を時間軸に沿って記録しているため、山体の成長速度や変形の特徴を研究するうえでも参考になる資料です。
昭和新山の形成過程が詳細に知られている背景には、このミマツダイヤグラムをはじめとする継続的な観測記録があります。
三松正夫の功績やミマツダイヤグラムについては、国土地理院の人物紹介でも解説されています。
昭和新山の観測記録が世界の火山研究に与えた影響
昭和新山の形成過程は、火山学の研究において貴重な観測事例として知られています。
火山は長い時間をかけて形成されることが多く、その成長過程を人間が最初から最後まで直接観測できる機会は限られています。
しかし、昭和新山では1943年末の地震活動から、地盤の隆起、水蒸気噴火、溶岩ドームの成長に至るまで、一連の変化が継続的に記録されました。
特に、三松正夫による山体の輪郭観測は、火山が短期間でどのように成長するのかを示す資料として注目されました。
1948年には、ノルウェーのオスロで開催された国際火山学会議において、昭和新山の形成過程とミマツダイヤグラムが紹介され、海外の研究者にも知られるようになりました。
こうした記録は、溶岩ドームの形成や火山体の変形を理解するうえで重要な参考資料となっています。
また、昭和新山の観測は、専門的な研究機関に所属していない人物による継続的な自然観察が、科学的に大きな価値を持ち得ることを示す事例でもあります。
三松正夫が残した記録は、地域に根ざした観測活動の重要性を伝えるものとして、現在も高く評価されています。
三松正夫が後世に残した功績と火山保護への思い
三松正夫の功績は、昭和新山の形成過程を記録したことだけではありません。
三松正夫は、誕生したばかりの昭和新山を貴重な自然遺産として後世に残すため、保存にも力を注ぎました。
昭和新山が形成された場所は、もともと農地などとして利用されていた土地であり、国有地ではありませんでした。
三松正夫は、昭和新山の保存を目的として、関係する土地を私財で買い取るという行動に出ました。
これは、単に山を所有するためではなく、貴重な火山地形を保護し、将来の研究や観察に役立てるための取り組みでした。
その後、昭和新山は国の天然記念物、さらに特別天然記念物に指定され、重要な自然遺産として保護されるようになりました。
現在も昭和新山が私有地であるという特徴は、こうした三松正夫の保存活動の歴史と深く結びついています。
三松正夫の観測記録や昭和新山の保存に関する資料は、昭和新山の麓にある「三松正夫記念館」で紹介されています。
昭和新山を観光する際には、山の景観を見るだけでなく、三松正夫の足跡にも触れることで、火山の誕生と保護の歴史をより深く理解できるでしょう。
三松正夫と昭和新山の保存活動については、昭和新山・三松正夫記念館の公式サイトでも紹介されています。

昭和新山はなぜ今も私有地なのか?三松正夫が山を買い取った理由
昭和新山には、ほかの有名な火山とは異なる、もうひとつの大きな特徴があります。それは、国の文化財として保護されているにもかかわらず、現在も私有地であるという点です。
「山は国や自治体が所有しているのでは?」「国の天然記念物なのに、個人の土地なの?」と疑問に感じる方も多いでしょう。
実は、昭和新山が私有地である理由には、山が誕生する前の土地利用と、その後の三松正夫による保存活動が深く関係しています。
昭和新山の私有地という特徴は、単なる土地所有の話ではありません。火山の誕生によって生活の場を失った人々と、貴重な自然遺産を後世に残そうとした人物の歴史が重なっているのです。
昭和新山が誕生した土地にはもともと所有者がいた
昭和新山が誕生する前、この場所には麦畑などの農地が広がっていました。
農地にはそれぞれ土地の所有者や利用者がおり、人々は農作物を育てながら暮らしていました。
ところが、1943年12月から始まった有珠山の火山活動によって地盤が隆起し、翌1944年には畑地から噴火が始まります。
地下から上昇したマグマが土地を押し上げ、最終的には標高約400mの昭和新山が形成されました。
ここで重要なのは、土地が隆起して山になったからといって、その土地の所有権が自動的に国へ移るわけではないということです。
火山活動によって土地の形状や利用状況が大きく変わっても、土地の所有権は原則として従来の権利関係に基づいて扱われます。
そのため、昭和新山が誕生した土地も、もともとの私有地という性格を持ち続けていました。
これは、昭和新山が現在も私有地である理由を理解するうえで、最も基本となる事実です。
三松正夫が私財を投じて昭和新山の土地を購入した経緯
昭和新山が形成された土地は、噴火や隆起によって農地としての利用が困難になりました。
一方、三松正夫は、昭和新山が火山研究にとって極めて貴重な存在であることを認識していました。
三松正夫は、昭和新山の形成過程を観測し続けた人物です。地盤の隆起から溶岩ドームの成長までを記録した経験から、この山が将来の火山研究や自然教育に役立つ重要な場所になると考えました。
そこで三松正夫は、誕生したばかりの昭和新山を保護するため、私財を投じて隆起した土地を買い取りました。
この土地購入によって、昭和新山は三松正夫が所有する私有地として保存されることになりました。
三松正夫が行ったのは、単なる不動産の取得ではありません。新しく誕生した火山を、貴重な地質学的資料として後世に残すための保存活動でした。
昭和新山・三松正夫記念館の公式サイトでも、三松正夫が火山の保護を目的として土地を買い取った経緯が紹介されています。

観光開発ではなく火山の保護を優先した三松正夫の決断
昭和新山が誕生した当時、山体の成長過程が詳しく記録された火山は、学術的にも貴重な存在でした。
三松正夫が土地を購入した目的は、観光施設を建設して利益を得ることではなく、火山そのものを保存することにありました。
火山地形は、一度大規模な造成や開発によって改変されると、形成当時の状態に戻すことが難しくなります。
特に昭和新山は、地盤の隆起や溶岩ドームの成長によって形成された地形が比較的新しい状態で残されており、火山の成長過程を理解するための貴重な資料となっています。
三松正夫による土地購入は、こうした火山地形の保存を重視した行動として評価されています。
現在、昭和新山の麓には観光施設や商業施設が整備されていますが、山体そのものへの立ち入りは制限されています。
このように、観光客が昭和新山の景観を楽しめる環境と、貴重な火山地形を保護する取り組みは、区別して考える必要があります。
昭和新山の私有地という歴史は、自然遺産を保存するために個人が果たしてきた役割を伝える重要な事例といえるでしょう。
国の特別天然記念物なのに私有地である理由
昭和新山は、国の特別天然記念物として知られています。
ここで疑問となるのが、「国の特別天然記念物に指定された山が、なぜ個人の所有物であり続けられるのか」という点です。
その答えは、文化財としての指定と、土地の所有権は別の制度だからです。
文化財保護法に基づく天然記念物の指定は、学術的・文化的に価値のある自然物や地形などを保護するための制度です。
指定されたからといって、土地の所有権が自動的に国へ移転するわけではありません。
そのため、個人が所有する土地であっても、天然記念物や特別天然記念物に指定されることがあります。
一方、文化財として指定された場所では、所有者であっても自由に地形を改変できるわけではありません。
文化財保護法では、史跡名勝天然記念物の現状を変更したり、保存に影響を及ぼす行為を行ったりする場合、原則として文化庁長官の許可が必要とされています。ただし、法令で定められた例外があります。
つまり、昭和新山では土地の所有権が民間にあっても、文化財としての保護制度が適用されているのです。
なお、文化庁の文化遺産オンラインでは、昭和新山の天然記念物としての指定日が1951年6月9日と記録されています。
昭和新山の文化財としての位置づけについては、文化庁の公式資料を参照してください。

現在の昭和新山の所有・管理と保護の仕組み
三松正夫が私財を投じて購入した昭和新山は、その後も三松家によって保存活動が受け継がれてきました。
三松正夫の孫にあたる三松三朗は、昭和新山の保護と観測資料の保存に尽力し、三松正夫記念館の初代館長を務めました。
三松三朗は2025年に亡くなり、現在は三松正夫のひ孫にあたる三松靖志が、昭和新山・三松正夫記念館の2代目館長を務めています。
三松家による保存活動は、火山の土地を所有することだけでなく、観測記録や写真、資料を後世へ伝える取り組みにも及んでいます。
ただし、記念館の館長であることと、昭和新山の土地全体について登記上の所有者であることは、厳密には別の問題です。個々の土地の現在の所有名義については、登記情報による確認が必要です。
また、昭和新山の保護には、土地所有者だけでなく行政機関も関係しています。
文化庁の文化遺産オンラインでは、昭和新山の管理団体として壮瞥町が記載されています。
このように昭和新山では、私有地としての権利関係と、文化財保護のための公的な制度が併存しています。
昭和新山の保護は、三松家が受け継いできた保存の歴史と、文化財保護制度による公的な保護という、複数の側面から理解することが重要です。
昭和新山は登山できる?立ち入りが制限される理由
昭和新山を訪れる際に注意したいのが、登山や立ち入りに関する制限です。
昭和新山は一般的な登山道が整備された山ではなく、通常、観光客が自由に山頂まで登ることはできません。
立ち入りが制限されている背景には、私有地であることに加え、火山地形の保護や安全確保という理由があります。
昭和新山の山体には、崩れやすい岩場や急斜面があり、場所によっては噴気や地熱の影響も見られます。
また、貴重な地質や地形を保護するためにも、無断で山体に立ち入ることは避けなければなりません。
一方で、昭和新山にまったく登れないというわけではありません。
昭和新山・三松正夫記念館では、特別な許可を得て山体に入る「プレミアム昭和新山登山学習ジオツアー」が案内されています。
このツアーは、洞爺湖有珠火山マイスターや熟練の登山ガイドなどが同行し、昭和新山の地質や火山活動を学ぶことを目的としたものです。
公式サイトでは、山頂往復コースや第四火口往復コースなどが紹介されています。開催状況、参加条件、料金、予約方法については、必ず最新の公式案内を確認してください。
昭和新山を間近で見学したい場合は、無断で入山するのではなく、こうした正式な許可を得た学習ツアーを利用することが大切です。

昭和新山の観光スポットと見どころ
昭和新山は、北海道の火山の歴史や自然を身近に感じられる観光スポットです。
山体への自由な立ち入りは制限されていますが、麓の観光エリアや周辺施設から、その特徴的な姿を楽しむことができます。
特におすすめなのが、赤茶色の山肌の観察、三松正夫記念館の見学、有珠山ロープウェイからの眺望です。
昭和新山の赤い山肌と噴気を間近で観察
昭和新山を訪れたら、まず注目したいのが赤茶色の荒々しい山肌です。
周囲の森林に囲まれた山体は、ほかの北海道の山々とは異なる独特の景観を持っています。
山肌には溶岩ドームを構成する岩石が露出しており、場所によっては白い噴気が立ち上る様子を見ることができます。
この噴気は、地下に残る火山性の熱によって温められた水蒸気などが、地表の割れ目から放出される現象です。
特に気温が低い日や空気が湿っているときには、噴気が目立つことがあります。
昭和新山の麓から山体を見上げると、わずか2年ほどで形成されたとは思えないほどの迫力を感じられるでしょう。
観察の際には、立ち入りが認められた場所から景観を楽しみ、柵や立ち入り禁止区域の内側へ入らないようにしてください。

昭和新山・三松正夫記念館で誕生の歴史を学ぶ
昭和新山の歴史を詳しく知りたい方におすすめなのが、山麓にある「昭和新山・三松正夫記念館」です。
この記念館では、昭和新山の誕生を記録した三松正夫の観測資料や、火山活動に関する貴重な展示を見ることができます。
特に注目したいのが、昭和新山の成長過程を記録した「ミマツダイヤグラム」です。
また、昭和新山が誕生する前の土地の様子や、噴火によって変化していく山体の写真、当時使用された観測機器なども紹介されています。
昭和新山の実物を眺めた後に記念館を訪れると、山の形成過程をより具体的に理解できるでしょう。
記念館の公式案内では、2026年10月時点で、通常の開館時間は9時から15時、開館日は金・土・日曜日とされています。11月から3月は不定休となるため、訪問前に開館カレンダーを確認してください。
入館料は一般400円、中学生以下250円、未就学児無料と案内されています。料金や開館日は変更される場合があります。
記念館の敷地内には専用駐車場がないため、車で訪れる場合は近隣の昭和新山公共駐車場を利用します。
最新の展示情報や開館日については、公式サイトを確認してください。

有珠山ロープウェイから眺める昭和新山と洞爺湖
昭和新山の全体像を楽しみたい方には、有珠山ロープウェイがおすすめです。
有珠山ロープウェイは、昭和新山の麓にある山麓駅から有珠山の山頂駅付近までを結ぶロープウェイです。
ゴンドラに乗ると、標高が上がるにつれて昭和新山の姿が見え、山体の形や周囲の地形を立体的に観察できます。
麓から見上げる昭和新山とは異なり、少し高い位置から眺めることで、山体が周囲の地形から大きく盛り上がっている様子を理解しやすくなります。
また、山頂駅周辺の展望施設からは、洞爺湖や有珠山周辺の景観も楽しめます。
有珠山の山頂周辺には、火口や火山地形を観察できる展望施設や遊歩道があり、昭和新山と有珠山の関係を理解するうえでも興味深い場所です。
ただし、展望施設や遊歩道の利用状況は、天候や火山活動、季節によって変わる場合があります。
ロープウェイの運行時間や料金、展望施設の利用状況については、公式サイトで最新情報を確認してください。
昭和新山のおすすめ撮影スポット
昭和新山は、北海道を代表する火山景観のひとつとして、写真撮影にも人気のある場所です。
赤茶色の山肌と緑豊かな森林、青空とのコントラストは、昭和新山ならではの景観といえるでしょう。
おすすめの撮影場所としては、次のようなスポットがあります。
- 昭和新山山麓の観光エリア:山体を見上げる構図で、赤茶色の岩肌と噴気を撮影しやすい場所です。
- 有珠山ロープウェイ:ゴンドラから昭和新山の全体像を立体的に撮影できます。
- 有珠山山頂駅周辺の展望施設:昭和新山と洞爺湖周辺の地形を広い視野で撮影できます。
- 周辺の許可された散策エリア:季節ごとの森林や草木と昭和新山を組み合わせた写真を楽しめます。
撮影する季節によって、昭和新山の印象も変わります。
春から夏は新緑と赤茶色の山肌のコントラストが美しく、秋には周辺の紅葉と組み合わせた景観が楽しめます。
冬は雪に覆われた周囲の山々と、雪の少ない岩肌の対比が印象的です。ただし、積雪や路面凍結、施設の営業状況には注意が必要です。
また、噴気は風向きや気温などによって見え方が変わるため、必ずしも同じ景色が撮影できるとは限りません。
写真撮影の際には、私有地や立ち入り禁止区域へ無断で入らず、指定された観光エリアや展望施設を利用しましょう。

洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパークで火山の歴史を体感
昭和新山を訪れるなら、あわせて知っておきたいのが「洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパーク」です。
ジオパークとは、地質や地形などの貴重な自然遺産を保護しながら、教育や観光、地域の持続可能な発展に活用する取り組みです。
洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパークには、洞爺湖、有珠山、昭和新山など、火山活動によって形成された多様な地形が存在します。
この地域の特徴は、火山の活動によって生まれた自然景観と、噴火災害を経験しながら暮らしてきた人々の歴史が密接に結びついていることです。
昭和新山は、短期間で形成された火山の姿を観察できる貴重な場所であり、火山と人間の関係を学ぶための重要な見どころとなっています。
また、有珠山周辺には、過去の噴火によって形成された火口や地殻変動の痕跡、災害遺構なども残されています。
これらをあわせて見学することで、火山活動が地形だけでなく、地域の暮らしや社会にも大きな影響を与えてきたことが理解できます。
昭和新山を単なる観光名所として訪れるのではなく、火山の誕生・自然災害・地域の歴史を学ぶ場所として楽しむこともおすすめです。
洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパークの公式サイトでは、地域の地質や火山活動、見学スポットなどが紹介されています。
昭和新山へのアクセス・駐車場・観光所要時間
昭和新山は北海道有珠郡壮瞥町に位置し、洞爺湖温泉や有珠山とあわせて観光しやすい場所にあります。
札幌や新千歳空港から日帰りで訪れることも可能ですが、昭和新山の誕生の歴史や火山地形をじっくり学びたい場合は、洞爺湖周辺での宿泊もおすすめです。
昭和新山の山体そのものには一般観光客向けの登山道が整備されていないため、通常の観光では山麓の見学エリアや周辺施設を利用します。
ここでは、昭和新山への主なアクセス方法や駐車場、観光に必要な時間を紹介します。
昭和新山へのアクセス|札幌・新千歳空港・洞爺湖温泉から
昭和新山へのアクセスは、レンタカーや自家用車を利用する方法が便利です。
札幌方面からは道央自動車道を利用し、伊達ICまたは虻田洞爺湖ICを経由して向かうことができます。
新千歳空港からも道央自動車道を利用できるため、北海道旅行の途中に立ち寄る観光スポットとしておすすめです。
| 出発地 | 主なアクセス方法 | 車での所要時間の目安 |
|---|---|---|
| 札幌市内 | 道央自動車道経由 | 約2時間 |
| 新千歳空港 | 道央自動車道経由 | 約1時間30分~2時間 |
| 洞爺湖温泉街 | 道道2号などを利用 | 約15~20分 |
| JR洞爺駅 | 洞爺湖温泉方面を経由 | 約25~35分 |
| 伊達市中心部 | 一般道を利用 | 約20~30分 |
※所要時間は通常の道路状況を想定した概算です。出発地点、道路状況、季節、天候によって変動します。
冬季は積雪や路面凍結によって所要時間が長くなる場合があります。特に北海道の冬道に慣れていない方は、余裕を持った移動計画を立てましょう。
また、カーナビや地図アプリで目的地を設定する際には、「昭和新山」または「有珠山ロープウェイ山麓駅」を検索すると、周辺の観光エリアを探しやすくなります。
公共交通機関・レンタカーでの行き方
公共交通機関を利用する場合は、JR洞爺駅を経由する方法が基本となります。
JR洞爺駅には、札幌方面や函館方面から特急列車でアクセスできます。
JR洞爺駅からは、道南バスなどを利用して洞爺湖温泉方面へ向かいます。
洞爺湖温泉から昭和新山方面への路線バスについては、季節運行や運行日、便数などが変更される場合があるため、旅行前に最新の時刻表を確認してください。
路線バスの運行時間が観光予定と合わない場合は、洞爺湖温泉からタクシーを利用する方法もあります。
一方、昭和新山だけでなく有珠山や洞爺湖周辺の観光スポットを複数巡る場合は、レンタカーが便利です。
特に三松正夫記念館や有珠山ロープウェイ、洞爺湖温泉などを組み合わせた観光では、車があると移動時間を調整しやすくなります。
公共交通機関の運行情報については、道南バスの公式サイトを確認してください。
昭和新山周辺の駐車場と利用料金
昭和新山の観光エリアには、一般車両や観光バスが利用できる公共駐車場があります。
駐車場からは、昭和新山の見学エリアや有珠山ロープウェイ山麓駅、周辺の観光施設へ徒歩で移動できます。
昭和新山公共駐車場は有料で、普通車の駐車料金は500円と案内されている資料があります。ただし、料金は変更される場合があるため、訪問前に最新情報を確認してください。
また、三松正夫記念館には専用駐車場がないため、車で訪れる際は周辺の公共駐車場を利用することになります。
観光シーズンの休日や大型連休には、駐車場や周辺道路が混雑する場合があります。
混雑を避けたい場合は、比較的早い時間帯に到着するよう計画するとよいでしょう。
駐車場の場所や利用条件については、壮瞥町の観光案内を参考にしてください。
昭和新山観光に必要な所要時間とおすすめの季節
昭和新山の観光に必要な時間は、見学する施設や観光スタイルによって異なります。
山麓から昭和新山の景観を眺めたり、写真撮影を楽しんだりするだけであれば、比較的短時間でも観光できます。
一方、三松正夫記念館や有珠山ロープウェイを利用する場合は、余裕を持ったスケジュールがおすすめです。
| 観光内容 | 所要時間の目安 |
|---|---|
| 昭和新山の景観観察・写真撮影 | 約20~40分 |
| 三松正夫記念館の見学 | 約30~60分 |
| 有珠山ロープウェイ・展望施設 | 約60~90分 |
| 昭和新山周辺をじっくり観光 | 約2~3時間 |
| 洞爺湖・有珠山を含めた周遊 | 半日~1日 |
※上記は観光計画を立てるための目安であり、施設の公式な標準所要時間ではありません。混雑や天候、施設の利用状況によって変わります。
昭和新山は四季を通じて異なる景観を楽しめる場所ですが、初めて訪れる方には、道路状況が比較的安定している春から秋がおすすめです。
- 春:雪解けとともに周囲の緑が増え、赤茶色の山肌との対比を楽しめます。
- 夏:緑豊かな森林と青空を背景に、昭和新山の迫力ある姿を観察できます。
- 秋:周辺の紅葉と火山地形のコントラストが美しい季節です。
- 冬:雪景色と噴気が印象的ですが、積雪や路面凍結、施設の営業状況に注意が必要です。
特に昭和新山の誕生の歴史や地質学的な特徴を学びたい方は、三松正夫記念館の開館日に合わせて訪問すると、より充実した観光ができるでしょう。
昭和新山観光で注意したい立ち入り制限と火山情報
昭和新山を観光する際には、一般的な観光地とは異なる注意点があります。
まず、昭和新山は現在も私有地であり、国の特別天然記念物として保護されているため、山体への自由な立ち入りはできません。
観光客は、指定された見学エリアや周辺施設から昭和新山を観察する必要があります。
また、昭和新山は有珠山の火山活動によって形成された山であり、周辺は火山活動の影響を受ける地域です。
有珠山は現在も活火山として監視されており、将来の噴火の可能性を否定することはできません。
観光前には、気象庁が発表する噴火警報・予報や噴火警戒レベル、自治体の防災情報を確認しましょう。
特に火山活動が活発化した場合には、道路や観光施設の利用が制限される可能性があります。
また、噴気が見られる場所には高温の地面や火山ガスなどの危険が存在する場合があるため、許可された場所以外へ近づかないことが重要です。
昭和新山は、自然の迫力を楽しむ場所であると同時に、貴重な火山地形を保護する場所でもあります。
私有地であること、文化財として保護されていること、火山特有の危険があることを理解したうえで、安全に観光を楽しみましょう。
昭和新山と一緒に訪れたい周辺観光スポット
昭和新山の周辺には、火山活動によって形成された地形や自然景観を楽しめる観光スポットが数多くあります。
特に洞爺湖、有珠山、洞爺湖温泉は、昭和新山とあわせて訪れたい代表的な観光地です。
これらの場所を巡ることで、昭和新山の誕生だけでなく、北海道の火山活動が周辺地域の地形や人々の暮らしに与えてきた影響を理解できます。
洞爺湖|火山活動によって生まれたカルデラ湖
洞爺湖は、昭和新山の近くに位置する北海道を代表する湖です。
洞爺湖は、約11万年前の大規模な火山活動によって形成されたカルデラに水がたまってできた湖です。
カルデラとは、大規模な噴火などによって地下のマグマだまりが変化し、地表が大きく陥没することで形成されるくぼ地のことです。
洞爺湖は、このような火山活動によって生まれた地形の代表例です。
湖の中央には中島と呼ばれる島々があり、周囲には有珠山や昭和新山などの火山地形が広がっています。
洞爺湖周辺では、湖畔の散策や展望スポットからの景観を楽しめるほか、季節によっては遊覧船などの観光も楽しめます。
昭和新山を訪れた後に洞爺湖を眺めると、火山活動が長い年月をかけて大地の姿を変えてきたことを実感できるでしょう。
洞爺湖の観光情報については、洞爺湖温泉観光協会の公式サイトも参考になります。

有珠山|昭和新山を生み出した活火山
昭和新山とあわせて訪れたいのが、有珠山です。
有珠山は、北海道南西部に位置する活火山で、歴史時代にも繰り返し噴火を起こしてきました。
昭和新山は、この有珠山の1943~1945年の噴火活動によって形成された火山です。
有珠山周辺には、過去の噴火によって形成された火口や隆起地形などが残されています。
有珠山ロープウェイを利用すると、山頂駅周辺の展望施設から洞爺湖や昭和新山を眺めることができます。
また、周辺には噴火活動によって変化した地形を観察できる散策路も整備されています。
昭和新山が短期間で誕生した山であるのに対し、有珠山は長い火山活動の歴史を持っています。
両者をあわせて見学することで、火山が繰り返し活動しながら地形を変化させていく仕組みを理解しやすくなります。
有珠山ロープウェイの運行情報や展望施設については、公式サイトを確認してください。
洞爺湖温泉|火山の恵みを感じる温泉街
昭和新山の観光とあわせて楽しみたいのが、洞爺湖温泉です。
洞爺湖温泉は洞爺湖の南岸に広がる温泉街で、湖畔の景観を楽しみながら温泉に入れる観光地として知られています。
洞爺湖温泉の誕生には、有珠山の1910年の噴火活動が関係しています。
1910年の噴火後、湖畔周辺で新たな温泉の湧出が確認され、後の温泉街の発展につながりました。
つまり、昭和新山と洞爺湖温泉は、どちらも有珠山の火山活動と深く関係しているのです。
洞爺湖温泉には宿泊施設のほか、日帰り入浴を楽しめる施設もあります。
昭和新山や有珠山を観光した後に温泉で疲れを癒やすコースは、洞爺湖周辺ならではの楽しみ方といえるでしょう。
宿泊施設や日帰り入浴施設については、洞爺湖温泉観光協会の公式情報を参考にしてください。

昭和新山周辺の観光モデルコース
昭和新山周辺を効率よく観光するなら、昭和新山の見学、有珠山ロープウェイ、洞爺湖温泉を組み合わせたコースがおすすめです。
火山の歴史や地質学に関心がある方は、三松正夫記念館の見学を組み込むことで、より充実した観光が楽しめます。
半日で巡る昭和新山・有珠山観光コース
- 昭和新山の山麓観光エリア:赤茶色の山肌や噴気を観察し、写真撮影を楽しむ。
- 三松正夫記念館:昭和新山の誕生の歴史やミマツダイヤグラムを学ぶ。
- 有珠山ロープウェイ:ゴンドラから昭和新山の全体像を眺める。
- 有珠山の展望施設:洞爺湖や周辺の火山地形を観察する。
このコースは、昭和新山の誕生と火山活動を中心に学びたい方におすすめです。
なお、三松正夫記念館は開館日が限られているため、訪問前に営業情報を確認してください。
1日で楽しむ洞爺湖・昭和新山周遊コース
- 午前:昭和新山観光|山麓から昭和新山の景観を観察。
- 午前:三松正夫記念館|昭和新山の形成過程や保存の歴史を学ぶ。
- 昼前~午後:有珠山ロープウェイ|展望施設から火山地形と洞爺湖を眺める。
- 午後:洞爺湖畔を散策|カルデラ湖の景観や周辺観光を楽しむ。
- 夕方:洞爺湖温泉|日帰り入浴または宿泊で旅の疲れを癒やす。
昭和新山と有珠山を観光した後に洞爺湖へ向かうことで、火山活動が形成した地形をさまざまな角度から楽しめます。
また、洞爺湖周辺には飲食店や土産物店もあり、北海道ならではの食事や買い物を楽しむこともできます。
観光施設の営業時間やロープウェイの運行状況によっては、訪問順序を変更する必要があります。特に冬季は日没が早いため、時間に余裕を持った計画がおすすめです。
昭和新山に関するよくある質問(FAQ)
ここでは、昭和新山の誕生や地質、私有地としての歴史、観光に関して、よくある疑問をまとめました。
昭和新山は人工的に造られた山ですか?
いいえ。昭和新山は人間が造った人工の山ではありません。
1943年12月から始まった有珠山の火山活動によって地盤が隆起し、1944年には水蒸気噴火が発生しました。その後、粘性の高い溶岩が地表に現れて成長し、1945年に現在につながる山体が形成されました。
昭和新山は、自然の火山活動によって短期間で誕生した山です。
昭和新山は現在も成長していますか?
昭和新山の溶岩ドームの成長は、1945年9月ごろにほぼ終息したとされています。
現在も山体の一部から噴気が見られますが、噴気が出ていることと、山体が成長し続けていることは同じではありません。
噴気は、地下に残る火山性の熱によって温められた水蒸気などが地表へ放出される現象です。
そのため、現在も昭和新山が継続的に高くなっていると考えるのは適切ではありません。
昭和新山の所有者は誰ですか?
昭和新山は、三松正夫が保存を目的として土地を買い取ったことから、私有地として知られています。
その後も三松家によって保存活動が受け継がれてきました。
ただし、現在の土地の登記上の所有者を正確に特定するには、該当する土地の登記情報を確認する必要があります。
なお、昭和新山は国の特別天然記念物として保護されていますが、文化財に指定されたことによって土地の所有権が自動的に国へ移るわけではありません。
昭和新山が私有地であることは、三松正夫による火山保護の歴史を象徴する特徴のひとつです。
昭和新山の山頂まで登れますか?
昭和新山には、一般観光客が自由に利用できる登山道はありません。
山体は私有地であり、特別天然記念物として保護されているため、無断で立ち入ることはできません。
ただし、昭和新山・三松正夫記念館では、特別な許可を得て山体に入る学習ツアーが案内されています。
こうしたツアーでは、専門のガイドとともに火山地形や昭和新山の形成過程を学ぶことができます。
開催状況や参加条件、料金などは変更される場合があるため、最新の公式案内を確認してください。

昭和新山と有珠山は別の火山ですか?
昭和新山と有珠山は、それぞれ異なる山体として認識されていますが、火山活動の面では密接に関係しています。
昭和新山は、有珠山の1943~1945年の噴火活動によって東麓に形成された火山です。
そのため、昭和新山は有珠火山の活動によって生まれた溶岩ドームと潜在ドームからなる山と説明できます。
有珠山周辺では、過去の噴火によって複数の新しい地形が形成されており、昭和新山はその代表的な事例です。
昭和新山と有珠山をあわせて見学すると、火山活動によって地形が形成される仕組みを理解しやすくなるでしょう。
まとめ|昭和新山は地球の営みと人々の保護活動が残した貴重な火山
昭和新山は、1943年12月から1945年9月にかけての有珠山の火山活動によって誕生した、北海道を代表する火山です。
もともと畑や集落が広がっていた土地が隆起し、水蒸気噴火を経て溶岩ドームが形成されるという、極めて特徴的な歴史を持っています。
その誕生の過程を継続的に観測し、貴重な記録を残したのが、地元の郵便局長だった三松正夫です。
三松正夫が作成した「ミマツダイヤグラム」は、昭和新山の成長過程を視覚的に記録した資料として、火山研究の歴史に重要な役割を果たしました。
さらに三松正夫は、昭和新山を後世に残すため、私財を投じて土地を購入しました。
その結果、昭和新山は国の特別天然記念物でありながら、現在も私有地として知られる珍しい火山となっています。
昭和新山が私有地であることは、単なる土地所有の問題ではありません。貴重な自然遺産を守ろうとした人々の思いと、火山の保護活動の歴史を象徴する事実でもあります。
昭和新山を訪れる際には、赤茶色の山肌や噴気を眺めるだけでなく、かつてこの場所に農地が広がっていたことや、火山の成長を記録した三松正夫の存在にも思いを巡らせてみてください。
また、三松正夫記念館や有珠山ロープウェイ、洞爺湖有珠山ユネスコ世界ジオパークの関連施設を巡ることで、昭和新山の誕生と地球の活動をより深く理解できます。
わずか2年ほどで誕生した昭和新山は、地球が持つ大きなエネルギーを伝えるとともに、自然と人間の関わりについて考えるきっかけを与えてくれる場所です。
北海道・洞爺湖周辺を訪れる際には、昭和新山の誕生の歴史と、現在まで受け継がれてきた保護の物語に触れてみてはいかがでしょうか。


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